2004年1月10日土曜日

図解 百戦百勝のメモ術・ノート術

サブタイトルまで入れると、

図解 百戦百勝のメモ術・ノート術―仕事、年収、昇格…人生は「書きグセ」で決まる!

である。

いわゆるビジネスKnow-How本であるが、特にHowに重点を置いて書かれている。




「良いHOW」は書いてあるが、「書名は誇大」だと思う。

Howを読むだけで百戦百勝はできまい。実践してこそのHowである。



書いてある「良いHow」を私なりに要約(と補足)すると、


  • 書きぐせをつけろ。とにかく書け。
  • 書くことで考えるようになる。書くことは記録の為だけではない。
  • 5W1Hや6W2Hで書く。つまり書くことに抜け・漏れをなくす。
  • さらに言えば、使えるスキル・フレームワーク(5W1Hなど)は使い回す。
  • 折衝メモなどは、言ったことだけではなく、感想なども書く。つまり考えながら書く。
  • 言うことをあらかじめ書いておく。ただ言うだけでなく、書いたものを見ながら言うことでインパクト変わる。

と言う事である。

当たり前のことのようであるが、この当たり前のことをするためのHowも書いてある。



読み終わった事でもあり、この際、私が社会人になってからのメモ・スケジュール帳の遍歴を簡単に振り返ってみた。

��一部脚色あり(^^;



入社当初、A5サイズ程度のスケジュール帳兼業務ノート(覚えたことを自分なりにまとめていた書き物)を付けていた。

入社半年後ぐらいだったと思うが、そのノートを紛失してから、小判の手帳だけでスケジューリングをおこなっていた。

設計部門の新人と言うこともあり、個別にスケジュールをたてると言うよりも、大きなスケジュールの中で業務を遂行しており、スケジュールについてあまり意識をしなくても済んだ。

また、若かったこともあり、他部門との打ち合わせなど大体のスケジュールは頭に入っていてすっぽかすこともなかった。

業務メモと言うものは特に作成せず、設計書・設計メモを作成しては共通ファイルにファイリングするという動作だった。

おかげで、その当時は個人持ちファイル・資料が少なく、設計ドキュメントもある程度体系化された文書ファイルに分類され、無くなることもなかったし、ファイルする際に、ファイルの先頭に綴じられていた文書一覧表の中から、面白そうな題名の先輩が書いた文書を読んで新たな知識を得られると言うメリットもあった。



ある時、出張して他部門と打ち合わせをしていたとき、そこに上司から電話が入った。


「おまえ、そこで何やっているんだ?」
「はい。例の○○の仕様打ち合わせです。」
「今日は部内で選抜された□□研修の全社説明会と試験だろ?」
「え?....あぁっ!」
「今すぐ本社に行け!」
「済みません。分かりました。」



大急ぎで本社に行ったが、既に試験は終了しており、とぼとぼと職場に戻った。

課長からは大目玉であるし、部長から「始末書を出せ!」と言われてしまった。

��私の始末書第一号である(^^;



その後、課長からこのようなことになった原因として「明確なスケジュール帳も持っていないこと」を挙げられた。おっしゃるとおりである。

その日のうちに、先輩が使っていたA5サイズのシステム手帳とカレンダーリフィルを購入してスケジュールときちんと記入しだした。



さて、その後、大きなA5サイズのシステム手帳はかさばると言うことでminiサイズの6穴のシステム手帳にスケジュールとメモを取るようなスタイルに変更した。
設計メモは継続してA4サイズでとり続けていた。もちろん手書きである。


設計メモは会社支給の薄い紙であり、今や懐かしい青焼きが取れるものであった。
間違っても裏紙などに書くことはしなかった。どんなメモ・検討もその紙に行った。紙をケチっていてはダメなのだと思う。人間が書ける量はそんなに多くなく、今のようにプリンタで大量の無駄紙が出ることもなかった。



そのスタイルで数年間過ごしていたが、ある時職場を異動した。顧客と直接向き合うことが多くなった。

それでも、mini6穴システム手帳だけで通していたのだが、次第に限界を感じるようになった。

裏紙にメモを取ったりしながらしのいでいた。

周りの同僚も小さな手帳と裏紙でやっている者、大判のビジネス手帳(兼スケジュール帳)でやっている者、大学ノートにメモを取っている者など、様々だった。



一時期、あらゆる打ち合わせにノートパソコンを持ち込んで、その場でメモを取る用にしたことがあった。
しかし、字だけを打つのが精一杯で、メールなどでの議事メモは迅速に送ることができたが、それだけであった。


ちなみに、私の学生時代(小学校から大学まで)は、ノートは極力取らないスタイルで過ごしてきた。

先生によっては(特に高校の時だが)、非常に厳格にノートを取らせ、その検査までする人もいた。そういう場合は仕方なく、鉛筆はもちろん、4色ボールペンなどでカラフルなノートを作っていた。しかし、そういう場合以外は教科書にポイントを書き込むと言うスタイルで通してきた。


実際、きれいにまとめられたノートと教科書にマーキングと書き込みをしたものでは
、私にとってテストで高得点を取るという目的においては大きな差はなかった。
むろん、数学など、計算をおこなう上での手段としてのノートは使ったが、考えると言うより覚える・理解する上でのノート書きは効率がよいとも思えなかった訳である。



さて、ある時先輩と一緒に顧客打ち合わせに行った。

先輩は話しながら大学ノートにメモを取っている。そのノートをちらちら見ると、相手が言っていることも書いてはいるが、次に言うことや疑問点なども書いているように見えた。

消しゴムなどで消さずに、ボールペンでばんばん書いている。
字が汚いだの、罫線からはみ出ているなどお構いなしである。
しかしそのノートは非常に魅力的だった。ノートってこうなんだと思った。



それから、私はすっかり大学ノート派になった。もちろん、スケジュール帳としては使い慣れたmini6穴システム手帳も持ち歩いている。

他にも私なりメモ・ノートのKnow-Howはあるが、それはまた別に書くとしよう。



と、言うことで、本書と上記の私の経験を比較すると、本書は「メモ」「ノート」「手帳」を使い分けろと言っているが、私は「メモ」兼「ノート」と手帳であり、あまり差が無いような気がする。「メモ」から「ノート」への整理・転記をおこなっていないだけである。

しかし、これも、本書で言うところの「ノート」に相当するものをワープロで書いたりする事もあり、似たようなものかなぁと言える。


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