2004年6月6日の日本経済新聞朝刊の文化面のコラム(?)に載っている。
送り手側の論理の例として、
・新幹線のぞみの時間短縮の話:30分短縮で快適さが無くなった
・複々線化と高架化の話:4分間の短縮での立ち退きや日照権への影響
・DVDプレーヤー:(DVDレコーダだと思われるが)説明書が分厚く直感的操作できない
・電子メール:会社のメールを自宅で取る事による勤務時間の家庭への浸食
・本とCDのベストセラーランキング:嗜好で買うべきものを、話題に乗り遅れないものへ
等を挙げている。
まぁ、「確かに」と思えるものもあるのだが、これらの例だけを見ても「送り手側の論理」でくくられてはかなわないと思う。
ポリシー・考え方・思想・設計がおかしい部分も確かにあるだろう。
でも、実装や運用・宣伝・説明がおかしいだけのものもあるに違いない。
��自分が日々感じていることを、感じた表層をベースに書き記して、
��あたかも世の中の本質であるかのように書かれて切り捨てられては、
��「送り手側」の人は堪らないと思うな。
��それこそ、送り手側の論理だと思う。
尚、保坂氏の著書は不勉強にして読んだことがないので、実は表層だけをとらえたものではないかもしれない。
また、表層だけでも充分「お里が知れる」事もある。
��私も「送り手側の論理」になっている(^^;
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